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伊勢市 市議会議員 おさだ朗
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プロフィール

略歴・職歴・活動歴
おさだ朗の略歴・職歴・活動歴がご覧いただけます。下の青・ピンク・緑のタブをクリックしてください。その下にはより詳しいおさだ朗の生い立ちが記載されています。お時間のある方は是非お読みください。


名前 長田朗(おさだあきら)OSADA AKIRA
生年月日 昭和29年5月16日(B型・おうし座)
学歴 神宮 五十鈴川幼稚園 卒園
伊勢市 立進修小学校 卒業
伊勢市 立五十鈴中学校 卒業
三重県立 伊勢高等学校普通科 卒業
上智大学 理工学部 物理学科 卒業
特技・資格 スペイン語会話、剣道二段、中学高校数学教員免許
尊敬する人 アルベルト・アインシュタイン博士
好きなこと 祭り 昼寝 将棋
苦手なもの かぼちゃ 注射
職歴 南米アルゼンチン・ウルグアイで牧童ガウチョと暮らす
カツオ一本釣り漁船第11大洋丸船員として太平洋を駆け巡る
カリフォルニアのお寿司屋さん“Hiro Sushi”で板前修業
ミズーリー州のトウモロコシ農場にて働く
帰国後、長田塾を開く
山高・山商・鳥羽高・鳥羽商船で数学・物理講師歴任
東進衛星予備校伊勢市駅前校校長
現在、英心高等学校校長
H15年 4月 伊勢市議会議員に初当選
H17年11月 新伊勢市 市議会議員に当選
H21年11月 伊勢市議会議員に当選
H21年12月 議長就任
H22年12月 任期終了に伴い議長辞任

主な

活動歴

祭り町おこし集団「宇治おまつり青年会(祭組)」を立ち上げ
水環境を考える会「五十鈴川水系会議」を設立
初穂曳の川曳復活に尽力
毎月第2土曜日に資源ごみ回収活動(14年目)
宇治青年団を結成
災害ボランティア活動
(阪神淡路大震災・新潟中越地震・台風21号宮川水害など)
幼児教育振興議員として伊勢私幼P連と連携
おはらい町会議顧問として宇治の町づくりに参画
外宮参道懇話会幹事として 外宮前の賑わいづくりに奔走
河崎町づくり衆として河崎の地域資源磨きに協力
NPO川づくり会議みえのメンバーとして魚道の研究に取組む
伊勢サイクリング協会会長

生い立ち

長田朗の誕生
昭和29年5月16日

伊勢市宇治中之切町で長田家の長男として生まれる。

(写真上:父と姉と母と僕)

(写真上:父がよく写真を撮ってくれた)

 

姉と妹の兄弟3人、とても仲良く元気に過ごす。

(写真上:親父と姉と妹と。)

 

(写真上:歯医者は今でも苦手です)

 

(写真左:姉と僕  写真右:愛犬ペルと父と僕)

健康優良児?子供メタボ?

当時「健康優良児」と自慢していた体型は、よくよく考えればただの肥満児、今で言うメタボ(子供バージョン)であった。祖父には「すもとり(相撲取り)になれ!」とよく言われたものだ。

 

(写真上:お木曳きでは子供木遣りを担当 配給の父と二人で)


あれは忘れもしない小学6年の運動会、メインイベントである町内マラソンでのことである。恥ずかしながら、やっとの思いで校庭にたどり着いた時には、もう次のプログラムである大玉ころがしが始まっていた。みんなに拍手されながら何とかゴールしたが、あの時の声援と視線は今でも忘れられない苦い記憶である・・・。とにかく、運動は苦手だったのである。

(写真上:応援されて走る僕。周りには生徒の姿がない・・)

 

(写真上:今でも秋になると思い出すシーンです)

 

諦めた宇宙飛行士の夢

中学生になると剣道部に入部。そのお陰で体型はずいぶんとスッキリした。子供のころから、夢はもっぱら宇宙飛行士になることだった。しかし中3の時、アポロ11号の月面着陸特集で宇宙飛行士の訓練映像を見た時、静かに夢を断念した。高速で回転するカプセルが夢を打ち砕いたのだ。恥ずかしながら、僕は異常なほど乗り物酔いをする体質で、公園のブランコに乗っても、洗濯機の渦を見ても酔っていた。

高校に行ってからは、宇宙物理学者を目指すことにした。 部活は、剣道部と映画鑑賞部。

(写真上:高校の修学旅行)

探検部、そして人生は動き出す…

大学時代は、探検部に所属。

 

山登、雪洞訓練、山スキー、気球、無人島生活、いろいろな経験をした。

これが人生の大きな岐路となりその後の人生に不確定要素がちりばめられた。そしてワイルドな男の世界にあこがれ 牧童、漁師、炭鉱夫の生活の中に絶滅寸前の男の美学があると信じ、 20代の全てを捧げる決意をこの頃すでに決めていた。

ガウチョに憧れ南米へ!

大学の3年次を休学して単身南米パンパス平原へ【牧童ガウチョ】を求めて日本を発った。約一年間、南アメリカで過ごす。

※当時の記録が読み物としてご覧いただけます。(現在準備中)

帰国、そして妻との出会い

一年後、帰国し大学で回転体(コマ)の研究を行う。そして教育実習のため母校五十鈴中学校に赴いた。そこで同じく教育実習に来ていた千鶴(のちの妻)と出会う。

遠洋漁業で南半球へ!!

東京の大学に行かせて貰ったのにも拘らず、卒業を控えても就職活動などは一切せず、漁師経験ができるきっかけを探していた。そこで父親に相談すると、父が昔予科練で一緒だった戦友を紹介してくれ、そのツテを頼り地元三重の田曽浦のカツオ一本釣り漁船 「第11大洋丸」に乗船させてもらえることとなった。そして【漁船員(見習い)】として1年間、太平洋を航海(漁)する。

(写真上:見送りにきてくれた母と)

 

(写真上:荷物を運ぶ)

 

(写真上:カツオの一本釣り。大変な仕事)

 

(写真:24歳。船室にて)

男の約束、そして波瀾万丈の末・・・

帰国後、男の約束を果たしに南米に戻る。書ききれない程のさまざまな事件に巻き込まれる。(男のポケット参照)

 

 

そして数年後、計画していたアフリカ経由の世界一周が無理になり 急遽知人を頼ってアメリカ、ロスに移動する。そしてロスの寿司レストランで板前として働く。

 

そこで妹や友人とアメリカ旅行に来ていた千鶴と数年ぶりの再会。カリフォルニアでプロポーズをし、婚約をする。すぐに日本に戻って結婚すればいいものを、板前修業を終えると、何故か次は車でアメリカを横断。向かった先はミズーリー州のトウモロコシ農場。カウボウイとして働きたかったからだ。

そして半年後帰国、地元宇治神社で挙式。子供も生まれ、自宅で小さな塾を開く。20代放浪し続けた僕は30歳にしてようやく安住の地を見つけた。

帰国、そして伊勢と向き合う。

帰ってきた故郷は、変貌していた。

あったはずのお祭りは沈滞し大好きな五十鈴川も護岸工事が進み、 川は子供の遊び場でもなく祭りの舞台でもなくなっていた。

これではダメだと思い、周りの友人と協力し「おまつり青年会」を結成し、地元の祭りや神輿の復活を手がけた。

そして「五十鈴川水系会議」を立ち上げ環境面でも取り組んできた。

さらには「初穂曳」の川曳き復活も仲間と取組み、それがもとで「宇治青年団」を立ち上げた。

仕事の面では伊勢市駅前などにも塾や予備校(東進)を開き宇治山田高校・宇治山田商業・鳥羽高校・鳥羽商船で数学・物理の臨時講師も引き受けた。

皆でまちづくり・地域づくりに取り組んだ。そしてその過程でたくさんのいい仲間に出会うことができた。僕の人生最大の宝物だ。

このような活動をしている中で、行政や市政にもっと正しいカタチがあるのではないか?と思ったのがキッカケ。


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